日々の外国語

外国語の勉強をしていて思ったことを投稿していきます。(英語、ハンガリー語、スペイン語、ポーランド語)

【ハンガリー語】これまでの勉強とこれから

これまでのハンガリー語の学習の軌跡を最初に書く。

軌跡

1.『ハンガリー語の入門』(早稲田みか著)を発音、基礎文法に触れながらとりあえず1周。この時に、全部を1周目で完璧に覚えようとしない。それと同時にフラッシュカードアプリで基礎単語(300~500語くらいを目安)を頭に入れていく。発音については、音素の区別ができているかどうかネイティブに確認してもらう。こちらもこの時点では完璧を求めずに区別がついて伝われば良しとする。

2.『ハンガリー語の入門』を2周目。1周目よりはスピード感をもって回せる。これと同時に基礎単語帳として『ハンガリー語単語集』(白水社)を使って、自身が重要だと感じる語彙にチェックをつけて範囲を3000語から1000語まで絞る。基礎的な1000語をうまく運用していければ、基礎的な会話であれば少しはできるようになるからだ。

3.1500語をとりあえず1単語につき20秒以上かけないようにして回していく。この時点では運用レベルまであまり考えずにとりあえず語彙に慣れていくことを目的としている。1000語を10周以上したら、だいたいハンガリー語→日本語の単純な置き換え(浅いレベルでOK)ができるようになる。

4.フラッシュカードアプリ「Anki」を使って短文暗記の用意をしていく。まずは上記の1000語に対してそれぞれ例文をコピペしてくる。コピペ元はTatoebaというサイトだ。「ハンガリー語↔日本語」だと例文の母数が少ないので、「ハンガリー語↔英語」で検索する。この時に自身の文法レベルで理解できる範囲内のものが好ましいが、それのレベルよりも少しはみ出たものでも可とする。この時に例文に合うような自身にとって興味深い画像や写真をGoogle Imageからピックアップしてそれぞれ貼り付ける。

5.現在、このフラッシュカードを作成中。2/3は作り終わった。作りながらすでにAnkiで短文暗記はすでに始めている。すでに写真のヒントから導き出せる例文の数としては300文くらいになると思う。

 

今までに気づいた点

基礎文法書2周目が案外だれてしまう。

フラッシュカードの作成に時間がかかるが、自身で想像力も用いて作ることがすごく大切で、作成中にすでに覚えてしまう例文もあるので、これはこれで良い。また、作成中に興味の赴くままに、例文で出てきた名詞や動詞の変化について調べて自然に頭に入ってくるので、自身に苦行を課している感はゼロ。

1日20例文フラッシュカードを作れば、50日(1か月半~2か月)で作成が終わるはずだが、案外、時間がかかっているのと、毎日20文も作成できていない日も多数あり...まだ終わらない...。

Ankiはスマホにも入れてPCのデータと連携できるので、ちょっとしたスキマ時間にパパっと学習できるのがとても良い。

 

これから

もう少しこの短文暗記フェーズをこなしていったら、独り言フェーズにも移っていきたい。その時はアプリ「HiNative」にご登場いただく。独り言フェーズでは、自身の考えていることや簡単な出来事をハンガリー語で目の前にネイティブがいると想定して、実際に口に出して話してみることだ。この際も、発音に関して、時々ネイティブにチェックしてもらえるとベスト。

すでに独り言をしてみる時があり、短文暗記の効果がすでにある程度出てきている。基礎文法書を終えた後はただものすごく頭で考えてやっと言えていたような文が、短文暗記をこなすごとに、自然と口をついて出てくるようになってきている。これは言語学習の中で、嬉しいひと時の一つだ。

今のフェーズを終えてから次のフェースに、という方法ではなく、常に今のフェーズが中盤を過ぎたら、次のフェーズが重なり合って進行していくイメージで進めるのが良い。

フラッシュカード短文暗記フェーズが終わる頃にはだいぶ、実力の向上を実感できるだろうと思う。

 

また些細なことでも気づいたことがあれば、書いていきたい。

 

「英語のネイティブ」

今日は、「英語のネイティブ」について。

 

「英語のネイティブ」ってなんだろう。「英語を母語として育った人」ということになるのだろうが、世間一般では「アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリア人」というグループを挙げる方も多いだろう。漠然としたイメージはあっても、そのこと自体を考えることまでは普段はしないだろう。一般の認識にも触れながら、定義を少し考えてみたい。

「英語のネイティブ」を上記のような国籍で分けている認識について考える。国籍と母語は必ずしも一致しない。例えば、大人になってアメリカに移民としてき来た人(母語は英語ではない場合)、あるいは親の母語がどちらも英語ではなく、その環境の中で英語をあまり使わずに育ってきた人々、これらはアメリカ人ではあっても、「英語のネイティブ」の認識からは外れるかと思う。

逆に、親が日本人でも、生まれも育ちもアメリカで他の「ネイティブたち」と同じように英語を使う環境にいたら、これは「英語のネイティブ」と多くの人は考えそうである。このような人たちが、例えば、日本に20歳の時にきてアメリカ国籍ではなく結果的に日本国籍になったとしても、「英語のネイティブ」のままである(これは上記の親の母語が英語ではなく、アメリカに移民として来て育った場合と同じ)。

バイリンガルについては、本人自身の認識によるが、どちらの言語のネイティブとも言えるかもしれない。 

今度は場所をインドに移そう。インドでは英語を母語として(あるいは英語を含むバイリンガルとして)育つ人もいる。この場合は、「英語のネイティブ」なのだろうか。私はネイティブだと考える。国の公用語としても指定されており、上記に該当する人は英語で育ってきたのだから。例えば、英語とヒンディー語母語とするバイリンガルなのであれば、上記の日英のバイリンガルと同じで、ネイティブと呼ぶほかにないだろう。シンガポールやアフリカにもそういう方々はかなりいる。

簡単に言えば、英語を母語母語のうちの一つ)としていれば「ネイティブ」なのではないか、と。

 

このように言ってもなお、「いやいや、インド人は英語ネイティブではないでしょ」「アフリカのアクセントがあるから...」という意見は多く出ているのは知っている。しかし「英語のネイティブ」であるかどうか、と国籍やアクセントはまた別の問題だ。アメリカ人から見れば、イギリス人は「訛っている」し、その逆もしかり。インドのアクセントを持つ英語母語話者からすれば、アメリカ人はアメリカアクセントで「訛っている」。ただ、日本においてはアメリカ英語がなにゆえか標準的な位置づけになっているために、アメリカ英語ネイティブだけがネイティブだという先入観がある。仮に、日本語で育ってきたが、20代からアメリカに移住して、アメリカの英語ネイティブからどう聴いてもアメリカの英語ネイティブにしか聞こえない人はどうか。さあ、アクセントはアメリカ英語で、アメリカの英語ネイティブからも判別不能だ。先入観を持っている人たちは、この人のことをどう呼ぶか。「ネイティブではない」と言うだろう。なぜか。英語を母語として育っていないからだ。アクセントの問題ではないということだ。

 

アメリカ英語のみが正統」の先入観を持っていると、アメリカ英語ネイティブ以外と接したときに、支障が出てくるだろう。今の時代、ビジネスでインドの方々と接する機会は多い。そこで「インド人が変な英語を話している」と切り捨て、内心で「アメリカ英語が正統なんだから」と傲慢になり、見下したりしているとそれは案外相手に伝わったりする。そして、「なんでこの人たちはアメリカ英語を話さないの?!」と自分自身で不満や怒りを作り出している。これはイギリス英語に対しても同じ話だ。それを単なる笑い話にしてしまうのと、不満や怒りにしてしまうのは別物だ。

普段聞きなれないと、確かに理解は難しく、それによる焦りはあるだろうが、そこで傲慢になるか、新しい発見だと思って興味深くアクセントに接することができるかどうかは本人の心次第だ。

 

ネイティブ信仰と人種

このカテゴリーでは、英語について、仕事や日々の生活の中で気づいたことや面白いと感じたことを記事にしていきたい。

 

昨今、ネイティブスピーカー信仰が根強い。自身の持つ認識と広告に流されることで生まれる闇がそこら中にあふれている。(「英語のネイティブ」については別の記事で考察したい。今回は雑に定義させてもらいたい。)

 

世間の考えるネイティブは「アメリカ人」「イギリス人」(もう少し考えて「カナダ人」「オーストラリア人」)というのが多いだろう。つまり、簡単に言うと、ネイティブ信仰というのは、英語教育において「英語のネイティブスピーカーであるアメリカ・イギリス人から習うのが一番(それ以外の英語学習は無駄)」というようなものだ。それ自体は一つの学習法としていいと思う。しかし、それ以外の英語教育の要素をバッサリと切り捨ててしまうのだから、あまりにも極端である。

とりあえず「ネイティブから習え」ばいいのか。そんなわけはない。この信仰によって作り上げられたものの一つが巷の「英会話教室」である。英会話教室自体を否定する意図はもちろんない。うまく利用することで素晴らしいものになるだろう。そしてもちろん、英会話教室は一つの例に過ぎない。ただ、ここで言いたいのは、ネイティブでありさえすれば他はもう何でもよい、といったような人が散見される、ということだ。大人になって基礎的な文法も何もままならない状態で、ただ英語のネイティブとなんとなく会話した気になって終わるレッスンを繰り返して、結局上達せずやめてしまう。ネイティブというものだけを売りにしてビジネスパーソンたちをターゲットにした英会話教室の広告群。

これらは全部「ネイティブ信仰」からくるもののように思える。そして、この「ネイティブ信仰」には人種の問題も複雑に関係している。今であれば、コケイジャンかアフリカ系(俗にいう白人、黒人)であれば「英語のネイティブ」かどうかは関係なく、ネイティブ講師として英会話教室で雇われている。働いている人を批判するつもりはまったくない。日本で頑張って働いていただいている方々にはいつも感謝の気持ちでいっぱいだ。しかし、アジア系の先生は少ない、あるいは採用されづらい。これはまさに人種の問題を含んでいるからである。教育の資格も英語の実力も遥かに高いフィリピン人の方々が、それと比べて何もない他の人種の方々よりも採用されにくいという話を聞いたことがある。また、白人、黒人の講師の方が生徒やその親からの人気が高い傾向にあるそうだ。※もう一度言う。人種に関係なく、母語かどうかに関係なく、良い先生はいる。

ここから分かる問題は、世間の一部の方々の認識だ。そういった広告群はその認識を利用しているだけにすぎない(もはやその認識を作り出している、とも言えなくはない。鶏が先か、卵が先か)。黒人、白人であれば「ネイティブ」なのである(その認識の中では、「ネイティブ」と言ったら「英語」のみの世界観をお持ちの方々も多い。よって「ネイティブ」といえば自動的に「英語のネイティブ」ということになる)。仮に英語のネイティブだったとしても、その範囲は幅広く多様だ。中卒かもしれないし、弁護士として働いていたかもしれないし、軍人だったかもしれない。

そして、ただなんとなく月2回通って話していれば、英語に関するすべてのスキルがすぐに飛躍的に上がる、ということは絶対にない。

それらの広告に流されてしまうのは、「学校の英語」以外の方法を知らないから、という理由もあるかもしれない。英語ができるようになりたいと思ったときに思う浮かぶ方法が、苦い思い出の「学校の英語」と自身の信仰に沿う「ネイティブスピーカーとの会話」の2択なら後者に流れるのもわからなくはない。これから採用する勉強法について客観的になるために、自身で勉強の仕方を考えるのはとても大事だ。また、取り組み方について「ただ流される」のと「思い込みをとりあえず捨てて試しにやってみる」のとでは大きく違う。少し話が逸れた。

すでに述べたように、問題は英会話教室だけではないが、わかりやすい形で表れているので今回は取り上げた。ネイティブ信仰と人種問題は、その他の様々な分野で見え隠れする。広告にあるような「グローバルな人材」や「国際人」になりたかったら、まずは自身の持つこういった観念や認識と向き合うことも大事だ。

 

私自身も至らない部分が多いので、自問自答し続けていきたい。

 

【スペイン語】約4か月独学でスペイン語技能検定4級取得に至るまで

昨年10月末にスペイン語技能検定の5級と4級を受けた。結果はどちらも合格。スペイン語を真面目に始めたのが、昨年6、7月から。すべて独学。約4か月で4級(英検3級相当)に合格できたのは運?が良かった。そこに至るまでについて、忘備録も兼ねて書いていく。

昨年の3、4月あたりからスペイン語の曲をよく聞き始めるようになった。というのも、サルサ(音楽)に興味が出て、聴き始めたのがきっかけ。その流れで、もともと知っていたが、スペインの歌手David Bisbalの曲を改めて聴いてみて、とんでもなく情熱的で美しい歌声だと感じた。スペイン語の音のかっこよさと心地よさ(主観)に惹かれて、自身でもスペイン語で歌ってみたいと思い始めた。歌詞を自身で発音するためには、スペイン語の発音の規則を覚えなければならない。そこで手を出したのがこのスペイン語の参考書『文法から学べるスペイン語(井戸光子、石村あつ著)』。最初の課で発音について学ぶことができたので、それを参考にスペイン語の曲の歌詞を読み始めた。読む、というよりは、ただ口に出して発音し始めただけだけれども。。。

歌詞の意味も知りたくなり、そのためには文法が必要だと感じた。なので、6月の終わりか7月くらいからその次の課から始まる文法項目を少しずつ読み始めた。この時点ですでに5月中旬だったと思う。文法的には語順なども含めて、英語とはそこまで大きく変わらなかったり(またまた主観)で個人的には取っつきやすい言語だと感じた。歌詞をたくさん読んでいたおかげで語彙力は無理なく増やすことができていたのはラッキー。8月くらいに文法書を1周終えていた。

それと同時に7月くらいからHelloTalkというアプリでスペイン語圏の人たちとやり取りを始めていたので、スペイン語作文能力の向上に対するモチベーションはある程度持ち続けられた。グーグル翻訳(個人的には、外国語学習の初期段階ではこれをどんどん使っていって良い気がする。もちろん十分気を付けながら)を使いながらも、機械的な翻訳だった場合には相手の方々にそれを直してもらいつつ、楽しんで勉強できた。

たしか8月中旬あたりでスペイン語検定をせっかくだから受けてみようと思い、それのために勉強を始めた。具体的におこなった内容は、SRS(Spaced Repetition System)を利用したAnkiというアプリで、フラッシュカードを作って単語を覚え始めた。また、その少し後に簡単なセンテンスを丸暗記し始めた。同時並行で、先ほどの文法書の2週目を始めた。それぞれの課についている会話の音声を聞きながら、同じ速さで文章を見なくてもシャドウィングできるように何度も練習し、10月までに2週目も終えた。

そんなこんなで10月を迎え、やっと検定用の参考書にも手を出した。もうすでに1か月ないと知って、ちょっと焦り始めたのを良く覚えている。スペイン語技能検定5級と4級は動詞の活用問題が多い印象だったので、そこにフォーカスして勉強するようにした。参考書の過去問と類似問題を解きながら、重要だと感じたセンテンスは丸暗記リストへ。

そして当日。4級の主なポイントである接続法について、結構うる覚えの部分は多かったが、なんとか解き終えて試験終了。そのときの感触としては、5級「これは受かった」、4級「うーん、微妙、、、受かってるといいな」という具合。時間については、余るくらいなので問題は特になかった。最終的には受かったので良かった。

自分が勉強している中でポイントだと感じたのが、勉強法それ自体はもちろん、やはりそのターゲット言語への興味・関心。これがないとモチベーションを保つのは相当厳しいと思う。その興味から派生して歌詞を読んだりすることで、上にも書いたように語彙力も増やすことができた。例えば、1曲につき10単語以上、自然に覚えられるとする。それが30曲になったら、すでに300語。馬鹿にできない。外国語の学習はなにかしら、自身の興味・関心とどんどん無理やりにでもつなげていけるかどうかが、大事なポイントだと感じる。

今日はこんなところで。

 

【ハンガリー語】空間へのこだわりと母音調和

最近ブログは止まっていたけれど、ハンガリー語は毎日少しずつ勉強していた。

 

ハンガリー語では、どこからの「から」をただ表すのに、それが「中から」、「上(表面)から」、あるいは「~の方から」なのか、決定する接尾辞をつけなくてはならない。それらは具体的な場所を示すほかにも、「~で、~に」の意味も表す。その際、平面的な場所や公的な場所(駅、大学、空港、広場)については、nが語尾につく。(ex. egyetem「大学」+-n, -on, -en, -ön=egyetemen)しかし、「学校(iskola)」には-ban, -benがつく(iskolában)。大学も学校も似たようなものだろう・・・たしかに学校は大学より小さい傾向にあって平面的ではないかもしれないけど・・・みたいなツッコミを入れながら、そういうものなんだなと納得する。

面白いのは、ハンガリーの国名と都市名(例外あり)については基本的に-nがつき、その他の国々については、-ban, -benがつく。どういう経緯でそうなったのか、気になるところ。こういうことを気にして、その都度考えたり調べたりしているうちに時間が過ぎていくが、これはこれで言語学習の醍醐味。

「どこから」「どこで」「どこに」それぞれに関して、それぞれ「中、表面、あたり」の接尾辞の区別がある。つまり、3×3で9通りのパターンがある(「~まで」を表す-igを含めると10パターン)。空間についてかなり敏感な言語なのかな、と思ったり。

 

そして、ここでも母音調和でパターン分岐!上の9通りについてそれぞれ後舌母音語、前舌母音語(場合によってはこの中で、非円唇か円唇かに分かれる)。例えば-ban, -benをつけるとき、taska(かばん)なら後舌母音語なのでban。szekrényは前舌母音なのでben。これも最初こそはよくわからなかったけれど、慣れてくると自然に口をついて出てくるようになってきている(気がする)。これは発音に関する話でもあるので、必ず口に出して練習することが大事だな、と感じる。どの言語でも大事ではあるけれど、ハンガリー語では必須だと感じた。

 

現在は文法書の折り返し地点まで来た。この本を少なくとも3週分はしたい。それと並行して基礎単語を1000語くらい2週目入るまでにはインプットしていけると良いかなぁ。ハンガリー語の学習プランについてはまた別の記事で書こう。

 

【ハンガリー語】「AはBです」、疑問文のイントネーション

昨日と今日で、ハンガリー語を学んでいて気づいたこと。

 

主語が3人称のときに存在動詞がいらない事実には驚いた。英語だったら、"A is B." 必ずA=Bを示すときにbe動詞を使って表される。スペイン語ポーランド語も同様だったはず。"János diák." で「ヤーノシュは学生です」になるなんて。

はい、いいえが答えになる疑問文(肯否疑問文)を作るときには、語順を英語のように変えなくてよいのだけれど、当然ながら平叙文とはイントネーションの差が出てくる。そのイントネーションの付け方がなんだか難しい。本には「コメント部のイントネーションが、最後から2つめの音節であがり、文末でさがります」と・・・。言うは易く、行うは難し。これもCDやその他の音声をたくさん聴いてシャドウィングを繰り返していくことで身体に覚えさせていこう。

それにしてもなかなか語順に関する感覚がつかめない。スペイン語を始めたときは英語の応用で考えることができてしまったので、特に引っかかることはなかった。ハンガリー語インド・ヨーロッパ語族ではないのでそこらへんは変な思い込みを捨てて取り組んでいけたらいいな。

 

今日はこんなところで。

ハンガリー語を勉強し始めます

本日スペイン語検定が終わり、区切りも良いので、縁あってハンガリー語を勉強し始めた。ハンガリー語について知っていることといえば、姓名の順番が日本と同じであるということ、あとは膠着語であること、くらい。ほぼゼロからのスタート。

使うテキストは「ハンガリー語の入門(早稲田みか著)」

レビューでの評価が比較的良かったので選んだ。最初は発音から丁寧に説明されており、CDもついているので個人的にも良さそうな感じ。

ハンガリー語教室に通うわけでもないので、大部分独学のようになると思う。毎日少しずつでも進められたらいいなぁ。

 

今日は、発音の章と存在動詞(英語で言えばbe動詞)の部分を勉強。印象的だったのは、ハンガリー語で「a」の発音がIPAだと「ɒ」にあたる。日本語の「あ」から見ると、深い「あ」あるいは「お」に聴こえる。

また単語のアクセントが第1音節にくるのも面白い。

存在動詞については、やっぱり人称ごと(単数複数1,2,3)に変化するよね...。コツコツ覚えていくしかない。

あとはとにかく最初の方は発音にどんどん慣れていきたい。聴いて発音の区別ができるようになることは本当に大事。例えば、英語ではRとLはしっかりと区別されるが、日本語ではあいまいで大きな意味の差は出てこない。英語でのBとVの扱いと日本語のそれらの違いもしかり。そこで、この教材を使う。

Fluent Forever Pronunciation Trainer - Fluent Forever

発音に関して間違えやすい、紛らわしい部分についてフラッシュカード形式で問題を出してくれる教材。

残念ながら、「日本語→ハンガリー語」視点の教材はなかったので、「英語→ハンガリー語」視点のものを使うことに。もう少し基礎の発音に慣れたら少しずつ始めていく。

 

今日はこんなところで。