日々の外国語

外国語の勉強をしていて思ったことを投稿していきます。(英語、ハンガリー語、スペイン語、ポーランド語)

「英語のネイティブ」

今日は、「英語のネイティブ」について。

 

「英語のネイティブ」ってなんだろう。「英語を母語として育った人」ということになるのだろうが、世間一般では「アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリア人」というグループを挙げる方も多いだろう。漠然としたイメージはあっても、そのこと自体を考えることまでは普段はしないだろう。一般の認識にも触れながら、定義を少し考えてみたい。

「英語のネイティブ」を上記のような国籍で分けている認識について考える。国籍と母語は必ずしも一致しない。例えば、大人になってアメリカに移民としてき来た人(母語は英語ではない場合)、あるいは親の母語がどちらも英語ではなく、その環境の中で英語をあまり使わずに育ってきた人々、これらはアメリカ人ではあっても、「英語のネイティブ」の認識からは外れるかと思う。

逆に、親が日本人でも、生まれも育ちもアメリカで他の「ネイティブたち」と同じように英語を使う環境にいたら、これは「英語のネイティブ」と多くの人は考えそうである。このような人たちが、例えば、日本に20歳の時にきてアメリカ国籍ではなく結果的に日本国籍になったとしても、「英語のネイティブ」のままである(これは上記の親の母語が英語ではなく、アメリカに移民として来て育った場合と同じ)。

バイリンガルについては、本人自身の認識によるが、どちらの言語のネイティブとも言えるかもしれない。 

今度は場所をインドに移そう。インドでは英語を母語として(あるいは英語を含むバイリンガルとして)育つ人もいる。この場合は、「英語のネイティブ」なのだろうか。私はネイティブだと考える。国の公用語としても指定されており、上記に該当する人は英語で育ってきたのだから。例えば、英語とヒンディー語母語とするバイリンガルなのであれば、上記の日英のバイリンガルと同じで、ネイティブと呼ぶほかにないだろう。シンガポールやアフリカにもそういう方々はかなりいる。

簡単に言えば、英語を母語母語のうちの一つ)としていれば「ネイティブ」なのではないか、と。

 

このように言ってもなお、「いやいや、インド人は英語ネイティブではないでしょ」「アフリカのアクセントがあるから...」という意見は多く出ているのは知っている。しかし「英語のネイティブ」であるかどうか、と国籍やアクセントはまた別の問題だ。アメリカ人から見れば、イギリス人は「訛っている」し、その逆もしかり。インドのアクセントを持つ英語母語話者からすれば、アメリカ人はアメリカアクセントで「訛っている」。ただ、日本においてはアメリカ英語がなにゆえか標準的な位置づけになっているために、アメリカ英語ネイティブだけがネイティブだという先入観がある。仮に、日本語で育ってきたが、20代からアメリカに移住して、アメリカの英語ネイティブからどう聴いてもアメリカの英語ネイティブにしか聞こえない人はどうか。さあ、アクセントはアメリカ英語で、アメリカの英語ネイティブからも判別不能だ。先入観を持っている人たちは、この人のことをどう呼ぶか。「ネイティブではない」と言うだろう。なぜか。英語を母語として育っていないからだ。アクセントの問題ではないということだ。

 

アメリカ英語のみが正統」の先入観を持っていると、アメリカ英語ネイティブ以外と接したときに、支障が出てくるだろう。今の時代、ビジネスでインドの方々と接する機会は多い。そこで「インド人が変な英語を話している」と切り捨て、内心で「アメリカ英語が正統なんだから」と傲慢になり、見下したりしているとそれは案外相手に伝わったりする。そして、「なんでこの人たちはアメリカ英語を話さないの?!」と自分自身で不満や怒りを作り出している。これはイギリス英語に対しても同じ話だ。それを単なる笑い話にしてしまうのと、不満や怒りにしてしまうのは別物だ。

普段聞きなれないと、確かに理解は難しく、それによる焦りはあるだろうが、そこで傲慢になるか、新しい発見だと思って興味深くアクセントに接することができるかどうかは本人の心次第だ。